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大阪地方裁判所 昭和58年(ワ)8797号 判決

原告

榮絹江

右訴訟代理人弁護士

坂井尚美

橋本賴裕

右坂井訴訟復代理人弁護士

川口善秀

被告

大同生命保険相互会社

右代表者代表取締役

福本栄治

被告

太陽生命保険相互会社

右代表者代表取締役

西脇教二郎

右被告ら訴訟代理人弁護士

木田好三

平山三徹

被告

住友生命保険相互会社

右代表者代表取締役

千代賢治

右訴訟代理人弁護士

川本一正

松村和宜

主文

一  原告の被告らに対する各請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  原告に対し、被告大同生命保険相互会社は、金九九六三万二〇〇〇円及びこれに対する昭和五八年一二月二七日から、被告太陽生命保険相互会社は、金四〇九万六六二〇円及びこれに対する昭和五八年一二月二七日から、被告住友生命保険相互会社は、金三五〇〇万円及びこれに対する昭和五八年一二月二七日から、各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁(被告ら)

主文同旨。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  被告らは、生命保険事業を営む相互会社である。

2  亡榮義雄(以下、義雄という。)は、被告らとの間で、被保険者を義雄、受取人を原告とする次の各保険契約を締結した。

(一) 被告大同生命保険相互会社(以下、被告大同生命という。)との間の保険契約

(1) 保険証券記号番号 五一七―一四九〇一二

(2) 契約日 昭和五七年一月一日

(3) 保険の種類 定期保険、五年満期

(4) 保険金 一億円

(5) 給付原因 被保険者の死亡

(二) 被告太陽生命保険相互会社(以下、被告太陽生命という。)との間の保険契約

(1) 保険証券記号番号PO五八―二四三四六五

(2) 契約日 昭和五三年五月一四日

(3) 保険の種類 災害死亡五倍保障付特殊養老保険(ひまわり保険)、五年満期

(4) 満期保険金 一二三万円

(5) 死亡保険金 一八四万五〇〇〇円

(6) 災害死亡保険金 六一五万円

(7) 給付原因 被保険者の死亡((6)については災害による死亡)

(三) 被告住友生命保険相互会社(以下、被告住友生命という。)との間の保険契約

(1) 保険証券記号番号 ホ3―七九―二七一―〇四〇四〇―〇

(2) 契約日 昭和五四年六月一日

(3) 保険の種類 生存給付金付逓増年金収入保障保険(新家庭安心プラン)、三〇年満期

(4) 基本保険金(死亡及び満期保険金)二八〇万円

(5) 年金保険金 契約成立年を第一回として保険事故発生該当年度に応当する定められた年金額を毎年支払うもので、一括一時金として支払うこともできる。

(6) 災害割増特約保険金 三〇〇〇万円

(7) 傷害特約保険金 五〇〇万円

(8) 給付原因 (4)(5)は事由を問わない被保険者の死亡、(6)(7)は被保険者の災害による死傷

3  義雄は、昭和五七年八月四日午前一時前ころ、宇治川沿いの京都府宇治市宇治金井戸一五番地先路上(以下、本件道路ともいう。)を普通貨物自動車(マツダボンゴ、京四四と三二五九号)を運転して北に向つて走行中、ガードレールの途切れたカーブ部分から逸走して車両もろとも宇治川に転落し、同一時ころ溺死した。

4  義雄は、3のとおり事故(災害)により死亡したのであるから、被告大同生命は2(一)のとおり一億円、同太陽生命は2(二)のとおり六一五万円、同住友生命は三七八〇万円及び年金保険金を、それぞれ原告に対して支払うべき義務がある。しかるに、被告大同生命は三六万八〇〇〇〇円、同太陽生命は一九〇万三三八〇円、同住友生命は三〇八万八二〇二円(但し、うち基本保険金分二八〇万円)及び年金保険金をそれぞれ原告に支払つたにすぎない。

よつて、原告は、本件各保険契約に基づき、被告大同生命に対し九九六三万二〇〇〇円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和五八年一二月二七日から、同太陽生命に対し四二四万六六二〇円の内金四〇九万六六二〇円及びこれに対する前同日から、同住友生命に対し三五〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の後である前同日から、各支払ずみまで民法所定の年五分の割合による各遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否(被告ら)

請求原因1ないし4の各事実は、いずれも認める。

三  抗弁(被告ら)

1  保険金不払特約

(一) 義雄と被告大同生命との間の保険契約には、給付原因である被保険者の死亡が、「給付責任開始の日からその日を含めて一年以内の自殺」によるときは、保険金を支払わない旨の特約があり、右保険契約の給付責任開始の日は昭和五六年一二月二二日である。

(二) 義雄と被告太陽生命との間の保険契約には、死亡保険金につき「契約者の故意により被保険者が死亡」したとき、災害死亡保険金につき「被保険者がその故意または重大な過失により死亡」したときは、各保険金を支払わない旨の特約がある。

(三) 義雄と被告住友生命との間の保険契約には、災害割増特約保険金及び傷害特約保険金につき「被保険者がその故意または重大な過失」により死亡したときは、各保険金を支払わない旨の特約がある。

2  義雄の自殺

義雄の死亡は、自殺によるものであるから、右各特約条項の「給付責任開始の日から一年以内の被保険者の自殺」「被保険者の故意または重大な過失による死亡」に該当する。したがつて、被告らに本件各保険金支払義務はない。

義雄の死亡が自殺によるものであることは、次の事情から明らかである。

(1) 義雄はピアノ専門の楽器店を経営していた者であるが、昭和五七年八月当時経営不振であり、仕入先等に対する負債が約一億二〇〇〇万円にもなつていたが返済の目途も立たず苦慮していた。特に、八月三日に額面二〇〇万円の手形の不渡りを出したため、所持人である大阪市内の高利金融業者アーチ産業に呼びつけられ、原告と共に謝りに行つたところ、数人の男達から厳しくその支払を迫られ、手持ちの一〇万円を渡した上八月九日までに必ず決済する旨約束してようやく放免された。また、八月三日には、仕入先である大口債権者トニカ楽器製造株式会社社長堀内雄一郎らが義雄の店舗から在庫商品を引揚げており、商売継続の可能性も断たれていた。

(2) 義雄は、アーチ産業より帰宅した後、債権者により家族に危害が加えられることを懸念して、家族を原告の妹方等に避難するように言いつけ、家族もその言に従つて急拠それぞれの避難先へ身を隠した。

(3) 義雄は、その死亡直前(八月四日午前零時三〇分ころ)原告に対し、右堀内らトニカ楽器関係者と債務の返済方法等につき話し合うため京都市伏見区醍醐外山街道町所在の音楽教室に赴く旨告げて自宅を出かけておきながら、右音楽教室の方へは行かず、それとは反対方向に当たる本件現場付近に赴いている。

(4) 義雄が車もろとも落下した地点は、ガードレールの切れ目のある道路面よりも二〇ないし三〇センチメートル高く、奥行き(幅)五ないし六メートルの路肩であつて、木も植えられており、意図的に車を乗り入れるように操縦しない限り、通常の走行によるハンドル操作のミス等では転落することは考えられないような場所である。

四  抗弁に対する認否

義雄の死亡が自殺によるものであることは否認する。それは、次のとおり車の運転操作を誤つたことによる事故死である。

(1)  義雄の経営する楽器店が昭和五七年六月ころ一時的に資金繰りに追われていたこと、同年八月三日に額面二〇〇万円の支払手形を不渡りにしたことは認めるが、自殺しなければならないほどの経営不振に陥つていたわけでは決してない。現に、事故の前年度(昭和五六年度)には実質的に四〇〇万円余の所得を得ており、かつ、貿易商の中村宏司とともにピアノの海外輸出事業をしていこうという構想も有していたほどである。また、右不渡手形の決済に必要な二〇〇万円も右中村が融通してくれる約束ができており、義雄は、中村と出会つてその金員を受領する約束の場所である天ケ瀬レストラン(本件現場の北にある。)の駐車場に赴く途中、本件事故にあつたものである。

このように、義雄には自殺の動機が欠けており、勿論遺書等も存在しないし、また、被告ら主張の目的地とは反対方向にある本件道路を走行していたのも途中で債権者らに出会うおそれがあることを配慮した中村が、わざわざそこを経由してくるよう指示したからであつて、この点にも何ら不自然なところはない。

(2)  本件現場が被告ら主張のような状態であつたことは否認する。同所は、宇治川を右にみて北進する車両にとつては、直進すれば、六・二メートル幅でガードレールの欠落しているすき間からそのまま進入することができ、わずかの樹木のほか特に障害となる物もないため、容易に宇治川へ転落してしまうような地形である。それに加えて、進路前方の天ケ瀬ダム付近に燈火が散在していて直線道路と錯覚するおそれもある個所であるため、義雄は車両の運転操作を誤まり、カーブを直進して本件事故現場に進入し、そのまま宇治川に転落したものである。

第三  証拠〈省略〉

理由

一請求原因1ないし4の各事実については、当事者間に争いがない。

二抗弁1(一)ないし(三)の各事実(保険金不払特約)については、原告は明らかに争わないので、これを自白したものとみなすべきところ、被告らは、義雄の死亡は自殺によるものであると主張し、原告はこれを否認するので、以下、この点について判断する。

1  本件全証拠を検討しても、義雄がその死亡前に、遺書を書き置いたり、家人その他の者に自殺の意思を表明したりしたことを窺わせるような的確な証拠は見当らない。しかしながら、〈証拠〉を総合すると、次の事実が認められる。

(一)  義雄は、京都市伏見区深草西浦町においてビルの一階を借り、サカエ楽器という屋号でピアノ等の楽器の販売業を営むとともに、同区醍醐外山街道町の自己所有の建物で音楽教室を経営していた者であるところ、昭和五四年度には売上高約一億五千万円、利益約四八〇万円、同五五年度には売上高約一億六九〇〇万円、利益約四四〇万円、同五六年度には売上高約一億三五〇〇万円、利益約四〇〇万円という実績を挙げていたが、借入金が多くその金利負担が重かつたため、売上高の割に利益が少ない状態であつた。

(二)  そのような状態で推移してきたところ、昭和五八年五月にはピアノ一三台を販売したが、六月、七月には五台から七台と販売台数が落ち込み、そのため義雄は、支払手形の期日が到来する月末には金策に駆けまわり、債権者に手形の期日を延期してもらうなどしてどうにかその場をしのぐといつた状況に立ち至り、特に、七月三一日には、ピアノ二台が運送屋により債務の担保として持ち去られ、更に、倒産した場合に備えて、別にピアノ四台を義雄自らがその友人の手を借りて隠匿するという状態にまでなつていた。

なお、義雄の死後、京都家庭裁判所により選任された同人の相続財産管理人により明らかにされたところによれば、義雄の資産は五〇二万円余であつたのに対し、負債は、二億〇五八〇万二七六六円にものぼり、その他に約一六万円の公租公課を負担していた。

(三)  昭和五八年八月三日、同日を支払期日とする義雄振出の額面二〇〇万円の手形が不渡りとなつたことから、義雄は、午後四時三〇分頃、静岡県浜松市にある楽器の仕入先で大口債権者であるトニカ楽器株式会社(以下、トニカ楽器という。)社長堀内雄一郎に対し電話を架け、手形を不渡りにしてしまつたので、その弁済資金を都合して欲しい旨頼んだが、これを断わられたため、「もうどうにもならんので店の品物を持つて帰つてもらいたい。」と告げた。更に、義雄は、不渡りとなつた手形の割引先でその所持人である大阪市北区南森町所在の金融業者アーチ産業から呼び出されたので、午後六時すぎ頃トニカ楽器からサカエ楽器へ派遣されてきている店員仲田国夫に対し、「これから大阪の高利貸の所へ行く。店は終りだ。トニカ楽器の社長が来て、商品を持つて帰つてもらう手はずになつているから、待つていてくれ。」と告げて、原告とともにアーチ産業に出向いた。アーチ産業では、午後七時四〇分頃より一時間余り数人の男達から二〇〇万円の返済を強硬に迫られ、返済しないときは保証人に迷惑をかけることになる等と声高に言われたため、とりあえず手持ちの一〇万円をその場で支払い、八月九日まで返済の猶予を懇請して、原告とともにサカエ楽器店に一〇時頃に戻つた。そして、既に同店に到着していたトニカ楽器社長堀内らがトラックにピアノを積込むのを手伝つた後、義雄は、堀内らとピアノ引揚げの書類作成及び今後の債務返済方法等について話合いをすべく、サカエ楽器店を出て醍醐外山街道町の音楽教室に向かつたが、朝から全く食事をとつていなかつたため、その途中堀内らと共にラーメン屋に入り、そこから様子を尋ねるため自宅にいる原告に架電したところ、避難先への身の廻りの品を運搬するための自動車のキイが見当らなくて困つているとの返事であつたため、すぐに引き返して来るので一足先に音楽教室の方へ行つておいてもらいたい旨堀内らに言い残した上、予備のキイを原告に手渡すべくその場から一旦伏見区向島二の丸町の自宅に戻つた。

(四)  義雄は、堀内らとともに右音楽教室に向かうに先立ち、原告を自宅に帰らせたが、その際、大阪のアーチ産業は暴力団のような金融業者だからと言つて原告に子供らとともに親類縁者のもとなど安全な所に身を隠すように命じ、避難を指示した。その後、義雄は、右のとおり一旦自宅に帰つて、原告に自動車の予備キイを手渡した上、八月四日午前零時三〇分頃堀内らの待つ醍醐外山街道町の音楽教室に向かう旨告げ、普通貨物乗用車を運転して自宅を出た。その直後に、義雄の長女である真由美が、国道二四号線を宇治方面に向つて南進する義雄の車両を目撃したのを最期として、同人は行方不明となつた。そのため、原告は、八月四日昼頃には伏見署に義雄を家出人として捜査願を提出した。

(五)  その後、義雄は、八月八日宇治川天ケ瀬ダム貯水池において溺死体で発見された。同人が車とともに宇治川に転落した地点は、宇治川沿いの府道大津南郷宇治線の天ケ瀬ダム上流約五〇〇メートルの京都府宇治市宇治金井戸一五番地先の緩やかな形でカーブした道路脇、約六・二メートル幅でガードレールの切れ目ができている空地の部分である。右空地部分は、道路面より約二五ないし三六センチメートル高く盛土がされており、ガードレールの切れ目から崖の端までの距離は約四メートルで、草木が生えていた。右地点は、義雄の自宅である向島二の丸町からみて、義雄が堀内らと会合を約束した醍醐外山街道町の音楽教室とは反対方向にあたる。なお、本件道路は、義雄がゴルフ場に通うためしばしば通つたことのある道路であつた。

以上認定の事実関係からすれば、義雄は多額の負債を抱え、当面の資金繰りにも窮し、不渡手形を出して倒産の危機に瀕するに至つたすえ、債権取立てが殊に厳しい金融業者から強く手形金の返済を迫られたものの返済資金を工面する当てもなく、このような債権者から家族を保護すべく親類縁者に身を隠すよう指示するほど切迫した状況に置かれているものと考えて苦慮していたものと認められるばかりでなく、トニカ楽器の社長らと今後の債務返済方法等について話し合うため、伏見区醍醐の音楽教室まですぐ駆けつける旨約束しておきながら、あえてこれを無視し、その反対方向にある本件道路を走行していたものであつて、これらの事情と転落地点の場所・形状等からして、通常の走行方法では車両が誤つて転落するようなことはあり得ないと考えられることや、長女真由美が義雄の運転していた車を最期に目撃した地点及びその際の進行方向などとを併せ考えるならば、義雄は、宇治から大津方面に向つて本件道路を進行して本件現場に差し掛かり(本件現場付近では南進)、自らの意思でガードレールの切れ目を通つて道路から逸走し、車両もろとも宇治川に転落、溺死したものと推認するのが相当である。

もつとも、この点につき、原告は、義雄は知人の中村宏司から八月三日夜、手形決済資金二〇〇万円を融通してやる旨の確約を得、中村と会つて、右金員を受領するため約束の場所である天ケ瀬レストランの駐車場に赴く途中、本件事故にあつたものであつて、自殺の動機を欠く旨主張し、〈証拠〉中には、これに沿う供述及び記載部分がある。しかし、前記甲第一一号証によれば、原告が八月八日宇治警察署で事情聴取を受けた際には、右のような事情は全く述べておらず、ただ義雄は堀内らと話合うため自宅を出たとのみ述べているにすぎないことが認められるとともに、証人中村の証言によると、原告が被告各会社と本件保険金の支払につき折衝し、自殺免責であるから請求には応じられない旨の回答を受けた際も、原告及び同道した中村が、右の点を述べ立てて義雄に自殺の動機がない旨反論したような形跡は全くないことが認められるのであつて、これらの事実に照らして考えると、右供述及び記載は甚だ疑わしいといわざるを得ないばかりでなく、右証言は全体として不自然で説得力の乏しいものであり、前掲丙第九、第一〇号証に照らしても、にわかに措信することができないといわなければならない。しかも他に、右推認を妨げるに足りる事情及び証拠は存在しない。

2  そうすると、義雄の死亡は自殺によるものであつて、被告大同生命との保険契約中の特約条項である「給付責任開始の日から一年以内の被保険者の自殺」により死亡したとき、同太陽生命及び同住友生命との各保険契約中の特約条項である「被保険者の故意」により死亡したときに、それぞれ該当するものということができるから、被告らは原告に対し、各保険金の支払義務を負わないものというべきである。

三以上の次第で、原告の被告らに対する本訴各請求はいずれも理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官藤原弘道 裁判官加藤新太郎 裁判官浜 秀樹)

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